斬首執行の実情

あまり気持ちの良い話題ではありませんが、死罪というものがどのように執行されていたのか少しだけ見ていきましょう。喧嘩口論や不慮の事で人を殺めた者が処せられる「打首の刑」これは昼間に執行される下手人とは違い、死罪の首打ちは夜間に行われていたそうです。一連の流れを記した書物には「牢屋証文を受取った牢屋奉行は、牢屋同心をして受刑者の囚禁されている牢舎に赴かしめる。牢屋同心は、牢舎の鍵をはずし、罪人の名を呼ぶ。名差しの罪人罷り出ずれば、相牢役人両人にて手を取り、床板を踏みならして囚人を戸口に押出し、これを同心に引渡す。囚人は牢鞘で切縄を掛け、改番所へ引き据え、鎰役が牢屋証と引合せて、人違いでないことを確かめた上、牢屋証文の文言によって死刑を宣告する。それより非人大勢にて囚人を取り囲み、打役、検視の役人附添い、死罪切り場口で囚人に目隠しを施し、切り場に連れてゆく」と細かく記されているものがあるそうです。首切り場には、斬首の為に土で築いた壇が設けられており、普段耳にする「土壇場」の由来とされているようです。まさに進退極まった場面と言えるでしょう。また、切り場の入り口で目隠しをされた囚人は、そこへ行くまでに小さい門をくぐるとされ、これを「地獄門」と呼んでいたそうです。首は、皮一枚を残して打つものとよく耳にするかもしれませんが、あれは間違っているようで、皮を残すのは、斬首ではなく、切腹する者に介錯人が心得るべき定法とされている説が組み合わさって伝えられてきてしまったと考えられるでしょう。

斬首刑という刑は、明治の文明開化の時代にも残されていたと言われています。それから死刑を絞首に変更されたのは、明治も幾分か過ぎてからと伝えられているようで、試し切りとしての「首切り」も、その頃まで続いて行われていたと言われています。

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