近代の重鎮の唱える刀術

「最後の武芸者」と称される人物がいることをご存知でしょうか。彼は、明治に加賀の金沢に生まれたそうですが、体格に恵まれず、道場の兄弟子たちに血反吐を吐くまで揉まれていたと言われています。しかし、彼は剣の道が死ぬほど好きで、睡眠時間さえも削って一心に修行を積み、道場の後継者となったと言われています。また、時代は流れ、大正時代には大きな武道振興の組織より、剣道・居合の「範士」という称号を称えられておりながら、修行の手を緩めることなく、重鎮となった近代でも門下生よりも一時間早く道場へ出、居合抜きをするのを日課としていたと言われています。その求道の姿勢が人々に「最後の武芸者」と呼ばせたのも十分に理解できるでしょう。彼の著書があります。構成は3部から成り「日本剣道の術・理」「西洋剣技、伊太利シャボら・フェンシング原則」「剣道の歴史」とされている。この本は、日中戦争の始まった年に発刊されたこともあり、剣道よりも刀術や刀法に視点を据えていると感じられるのではないでしょうか。つまり、真剣勝負といった斬り合いにおいて実戦的な技を説いている点が興味深いのではないでしょうか。具体的に例を挙げると「鍔迫り合いは、両者の術、変化、駆引きなどがとっさに行われる乱打の瞬間に突然現れてくるものであり、竹刀であってもその原因を帰することができ、しかし、古来より真剣勝負での鍔迫り合いは皆無と言っても過言ではない」ということが記されていると言います。この本には二刀技法も紹介されている事からして、片手で刀を用いていることを容認しつつ「日本刀は諸手を用いて効果を得る」と記しているのは、体格によらず、それが真剣勝負での作法と心得てていたからなのではないでしょうか。

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